・江戸時代から明治期にかけて、須磨で石炭を産出していた。三木街道は港へ運ぶ道路でもあった。
・妙法寺駅近くの交差点に2000年頃まで残っていたコンクリートの残骸は、舞鶴まで続く軍用道路の跡だった。
・阪神大水害で妙法寺地区も大被害を受けて、そのなかには人はもちろんのこと鶏や豚や牛も流された。
・妙法寺にあるお墓から、アジアを侵略した日本軍の範囲がわかる。若い人も犠牲になったのは勿論、39歳で亡くなっている人もいた。
とにかく暑い!! お墓ではヤブ蚊に献血、刺された後が真っ赤になった、など大変だったことは確かですが、目の前で今まで知らなかった歴史が解き明かされて、納得の半日でした。
講師を務めていただいたみなさん、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿