2012年10月15日月曜日

中学校新指導要領における伝統と文化の尊重、近現代史の重視の意図と背景(上)

 会報№247から中学校学習指導要領でなぜ近現代史の重視が持ち出されたのかを論じています。
その一部をお知らせします。くわしくは、兵庫歴教協の会報をご覧ください。
連絡先は、h_rekkyo2009@yahoo.co.jpまで

 問題の所在
 新学習指導要領が中学校現場でも正式に実施された。社会科の授業時数は年間140時間、1週あたり4時間が履修され、3年時の4月から現代史(戦後史)の学習が行われることになった。
 従前の学習指導要領で「(5)近現代史の日本と世界」と一つの大項目扱いだったものが、新学習指導要領では、「19世紀から20世紀前半(第2次世界大戦)までの歴史を近代史」、「第2次世界大戦後から冷戦終結ごろまでの歴史を現代史」として、その充実を図っている。
 しかし「近現代史の重視とは、必ずしも学ぶ事象の増大や細分化を意味するものでは」ないというのである。学習内容の増大、記述の精細化ではなく、配当時間数の増加分は、「具体的な事例を取り上げたり、思考や表現を重視した学習をすすめたりしてその大きな展開をつかませる」としている(文部科学省中学校学習指導要領解説社会科編、以下「解説」と略記)。
 しかし「なぜ近現代史の重視か?」という疑問に答えるような直接的な記述は、新学習指導要領や解説にはない。
 2006年11月22日参議院教育基本法特別委員会で当時の伊吹文明文部科学大臣は、北岡秀二議員の質問に答えて、「歴史的な事実を教え、積み重ねることで結果的に国を愛する態度が養われる。今回の教育基本法の改正をお認めいただければ、この教育基本法の理念に従って学校教育法を改正し、学習指導要領を変えていく」と答えていた。
 なぜ、近現代史学習が新学習指導要領で重視さてれいるのか。この疑問は、教育基本法が改定される経過にさかのぼって検討することによって明らかになる。
 1.今回の学習指導要領改訂の要点とは何か
 文部科学省は、2008年2月16日に「教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改訂点」を打ち出した。そこには「1「教育の目標(第1章第2条)」における新たな規定を踏まえた改訂」として、
 ○道徳教育の充実
 ○活用を重視し、思考力、判断力、表現力等を育成
 ○公共の精神
 ○自然と環境の保全
 ○伝統と文化の尊重
と5項目が挙げられ、そのなかで社会科は下の3項目に関連づけられている。
 社会科は、特に伝統と文化の尊重の項目でくわしく説明される。
 それを具体的に見ると、
「a世界文化遺産や国宝、b狩猟・採集の生活やc国の形成、d江戸時代の教育や文化、e近現代史の重視など我が国の伝統と文化に関する歴史学習を充実するとともに、世界の地理、文化の多様性、国際社会における我が国の役割などの学習を充実【社会】」(記号、下線は引用者)、とある。
 この改訂点を改めて考察すると、a世界文化遺産や国宝は、日本の世界に認められた文化遺産や日本の誇るべき国宝について学ぶことである。b狩猟・採集の生活とは、縄文文化であり、世界で初めて土器を作ったのは日本人の先祖などという記述が想起される。c国の形成とは、国家形成にまつわる天皇を中心とした「神話」を意味するのであろう。d江戸時代の教育や文化は、江戸時代の識字率の高さや浮世絵を中心とし、ヨーロッパを魅了し日本ブームをもたらした江戸時代の文化を表す。
 下線部a~dはいずれも日本文化史にかかわる部分であり、歴史学習の内容を示している。
 しかし最後のe近現代史の重視は、歴史の「近現代史」という時代区分を示し、学習内容の領域を指示してはいるが、その内容そのものを表すものではない。現在の教科書でも扱われている明治や大正の文化を重視して取り扱うよう強調されているわけでもない。
 ではなぜ、伝統と文化の尊重の項目に「近現代史の重視」が挿入されているのか、その意図は明確ではない。

続きは会報で。

兵庫歴史教育者協議会会報 №247 2012年10月6日(土)発行

 兵庫歴教協の会誌「兵庫歴史教育者協議会会報」№247が発行されました。
目次は次の通りです。

1.被災地をめぐって    稲次 寛(北播支部)
2.中学校新指導要領における伝統と文化の尊重、近現代史の重視の意図と背景(上)         岩本 賢治(明石支部)
3.山家妄想 №132より 東京電力の事故調査報告書 ほか 水田 全一(龍澤寺住職)
4.会員動向 教育新聞にコラム連載  間森誉司(西播磨支部)
5.事務局だより    事務局

 
下の写真は、稲次さんのレポートから被災地のようすです。





                                             

「少しの工夫で授業が変わる」の最終回


「教育新聞」(東京本社)の連載コラム「少しの工夫で授業が変わる」の最終回が掲載されました。

半年間、毎月1回の連載でしたが、毎回、授業を改善するためのヒントを800字で書いて来ました。

最終回のコピーをお送りします。後批評下さいれば有り難く存じます。
 
間 森 誉 司 Mamori Takashi
和歌山大学教育学部講師(非常勤)

2012年10月8日月曜日

間森誉司さんから投稿-後期「初等社会科教育法」

後期「初等社会科教育法」の授業が始まりました。(10月2日・火曜日)


「初等社会科教育法」(和歌山大学・教育学部)第1回講義の報告です。

 

後期の講義の履修数は、約125名-大教室の席が、びっしりと詰まっています。

今年度の特徴は、昨年度に比べて「前期・小学校社会」に引き続いて履修している学生が多いことです。

それにしても、125名というのは、具体的に「社会科の指導法」を教えるには多すぎます。

一般的な抽象論を話していたのでは、すぐに「居眠り・私語・携帯」を助長してしまうようなものです。

そこで、昨年度から各班MAX10名で14個の班編制をし、毎回の講義ではその中から順番に約20名を教室の前部・中央席に座らせて「模擬授業」形式で講義を進めています。

第1回の講義は、オリエンテーションでした。テーマを「何のために社会科を学ぶのか?-楽しくなければ社会科ではない!」とし、模擬授業形式で解説をしました。

 

今回の講義は、昨年の講義を少し“改良”してみました。それが、添付している写真の「ビジュアル板書計画」です。

昨年度は、ホワイトボードに「板書」をしながら講義を進めていたのですが、白板の面積が狭く教室の後からは見えにくく、また説明しながら書くのは能率が悪く時間的なロスがありました。

そこで、今年度からは「板書計画」を,パワーポイントで大きく前面に映し、模擬授業の流れに沿いながら、映し出して行く方法をとりました。

(最初は、板書の上の資料・写真・文字の全てを消しておいて、少しずつめくって行くようにプログラミングしておく)

このようにして、「ビジュアル板書計画」と写真やグラフを結合させて、児童役の学生に意見を発表してもらいつつ授業を進めます。

 

「オリエンテーション」で話した内容は次のようなことです。

①小学生の得意教科データー(算数や理科は好きだが、社会科が嫌が多い=ベネッセの調査から)

②小学校の教員の得意教科データー(算数や国語は得意だが、社会科が苦手が多い=ベネッセの調査から)

最初にこの①と②を提示し、グラフから意味を読み取り、比較することから、「教師の得意・不得意が子どもの好き嫌いに反映している」ことをつかませました。

また、社会科を教えることを苦手としている教師の割合が多いことの訳を話し合いました。

③実物教材「墨塗り教科書」を提示し、なぜ・どんな部分を墨で塗りつぶしているのかを考え、「戦後教育の出発点」と「社会科」誕生の意義に気づかせました。

④戦後の指導要領の変遷を簡単にたどり、学習指導要領の改訂が常に「国家のための教育か」「国民・子どものための教育か」の“しのぎあい”の歴史であることに着目させ、

「教え子を再び戦場に送らない」という戦後民主教育の出発点に立って、教育と子どもを見ること、社会科教育を創造することの大切さを説きました。

班編制をしたり、座席の位置を確認したりの作業がありましたので、後期の講義の概要しか話せませんでしたが。

第2回目は「3年生の地域学習の進め方」がテーマです。

児童役の学生達に3年生になってもらい、大教室に出現した「和歌山大学教育学部附属わだにゃん小学校」の担任・間森誉司先生が実際に授業を進めながら解説していきます。

「社会科は暗記教科」と経験上、思っている学生がかなりいます。具体的な模擬授業を通して、社会科の楽しさや授業の工夫、地域教材の作り方を紹介し、

彼らの「固定概念」を打ち消し、転換したいと思っています。

 

間 森 誉 司 Mamori Takashi

和歌山大学教育学部講師(非常勤)

2012年9月24日月曜日

『教育新聞』連載コラム・第5回「授業デザイン」 少しの工夫で授業が変わる


『教育新聞』連載コラム・第5

「授業デザイン」少しの工夫で授業が替わる

話し言葉への変換で発表を増やす

資料を提示して子ども達への発問を、

「この写真から,何が分かりますか?」

「この写真から、何が見えますか?」

さて、あなたはどちらの言葉を投げかけていますか?

ちょっとした発問の違いで、子どもの意欲が違って来ます。その工夫を紹介しています。

2012年8月29日水曜日

矛盾を作る発問で思考を深める


『教育新聞』コラム・第4回目

「授業デザイン」2012年8月9日(木)

矛盾を作る発問で思考を深める
 
 

2012年7月16日月曜日

兵庫の歴史教育 第16号が発行されます

第15号を神戸大会で発行して早5年。その間、「兵庫歴教協50年のあゆみ」の発行を計画したものの頓挫!50年史の発行を一時凍結して、機関誌をやっと発行することができそうです。
 実はまだ編集中で、発行は千葉大会ギリギリですが、あと少しのところまで来ました。
 今号は、同じ大震災を経験した兵庫から東日本大震災と福島原発事故について、さまざまな論考を全国に発信することができそうです。
 皆さま、もう少しでできます。お楽しみに。

「教育新聞」連載コラム③「少しの工夫で授業が変わる」
今回は、47都道府県調べの実践を書きました。


会員の間森誉司さんから情報が届きました。

 広島市民間教育サークル会議・第35回教育基礎講座@6月16日(土)
6月16日(土)朝、姫路の自宅を出発し、土砂降りの雨の中を広島に向かいました。社会科の基礎講座の会場は、広島市東区民文化センター、開会は13時30分からでした。
 テーマを、あなたも社会科授業が上手くなる―切り口・発問・実物資料の工夫―と題してお話ししました。
 
 最初に、この講座に何を求めて参加されたかを、自己紹介を兼ねてお聞きしました。やはり「授業が上手くなる」に引かれた・・・というのが多く、次は「教材の工夫」について知りたい・・・と言うものでした。参加者も小学校教師と中学校の教師が半々で、新任や若い教師が数人参加されていました。また、育鵬社の教科書を採択している地域からの先生も2名参加しておられました。
講義は、途中の10分の休憩時間を入れて4時半までの3時間。
①写真と発問をどのように関連づけて、子どもの探求心を高めるか。
②発問により変わる子どもの思考と授業の深まり。
③「総合学習的」にならないための「中学年社会科」の授業の組み立て方。
④実物教材の活かし方と授業における効果。
⑤小学校の発達段階での授業内容と中学校段階での授業内容の違い。
⑥地域の人々と協力し、集団的に教材を創造することの大切さ。
などについて、パワーポイントを活用してお話ししました。
 また、最近では「定番」となっている「羽釜(実物)」も,自動車に乗せて登場させました。小学校から中学校まで、新任からベテランまでという参加者の顔ぶれのため、中学校でも生きる授業方法や切り口を紹介しよう・・・と考えて話しを進めました。
 後で主催者の広島歴教協・辻さんから次のような感想を頂きました。
―運営している側にとって、例年より参加者が多く若い人もいましたし、講座中の反応もよかったので、お願いしてよかったと何度も思いました。中学校の教員も多かったのですが、アンケートを読んでも反応はよかったです。
 「社会科の授業の切り口、正解が出てももう一つゆさぶる授業の醍醐味に触れました。目からウロコが何枚も落ちるとはこのことでした。時間があっという間に過ぎ、流れがすとんと落ち、残りで深めたいと学生の気持ちになりました。社会科が暗記科目とはもう言わせないと思いました」(50代女性・中学校)

 準備していた私の著書「地域学習指導ハンドブック」も、ほとんどの方が購入して下さり、充実した講座になりました。
その後、土砂降りの雨の中を、鞆の浦に向かい、夜は鞆の浦の「欧風亭」に宿泊。翌日は、晴れ渡った鞆の浦の街を散策しました。鞆の浦湾のバイパス架橋が問題になっているのですが、帰宅した翌日に広島県知事が「架橋撤回」を表明し、とてもタイムリーな旅になりました。

2012年6月17日日曜日

小学校5年生『工業と情報通信業』の学習

和歌山大学教育学部「小学校・社会」第10回講義(2012年6月12日)
-小学校5年生『工業と情報通信業』の学習-
5年生社会科は、学習内容が実に多い。
農業・水産業分野もそうだが、工業・情報通信業の学習でも盛りだくさんだ。
教科書を記述通り進めていては、読んでノートにまとめるだけで終わってしまう。
これでは、社会科は面白くないし、実生活と大きく繋がっているにも拘わらず、生活と結合して考えることができる子どもが育たない。
そこで、今回も幾つかの具体的な実践例を紹介した。
講義後の感想カードで、最も学生達の心に強く残り「教師になったら、ぜひ実践したい!」と回答しているものを紹介しよう。
①西川満氏の実践から、画用紙で作った「タローラ」の型紙で学ぶ「バーチャル自動車工場」の学習である。
私は、三菱やダイハツの自動車工場の見学に行けるときは、その機会を最大限に活かし、
もし、行けないときは、校区内の身近なモータース(自動車修理屋さん)の見学を通して、自動車産業を学ぶようにしている。
特に、後者のモータースは、自動車産業と消費者との“接点”である。
そのため、子どもや家族にとっては、最も身近な場所である。
ここを切り口として「自動車産業」の学習を組み立てると、子ども達の生活と工業の具体的な結びつきが見えてくる。
その自動車産業学習に欠かせないのが、西川満氏考案の「タローラ」による“工場内分業”を学ぶ方法である。
画用紙に印刷された「自動車の車体」と「部品」、この部品を切り抜いて、糊で車体に貼り付けていく作業をする。
1度目は「個人企業」として、塗装(色塗り)までの全てを自分1人でやり、ストップウオッチで計る。
2度目は、学級に「自動車工場」をつくり、部品を供給する者と「組み立てライン」を担当する者に分けるのである。
そして、並べた机の真ん中を流れる「紙の車体」に、順番に「部品」を貼り付けていき「自動車」を完成させる。
この双方で「1台の自動車が完成する時間」を比べ、大量生産と価格と労働について話し合うのである。
―これまで、幾度となく自動車工場を見学し、学習を積み重ねてきたが、この西川満実践を越える教材は見あたらない。
本当に、素晴らしい「タローラ」づくりを中心にすえたアイデア実践であると思う。
②もう一つは「メデイア・リテラシー」を考える実践である。(間森の考案による)
別紙のような「放送原稿」を元に、2種類の「ニュースA]「ニュースB]を編集する。
ビデオカメラで撮影し、2台のデッキを繋いで「つなぎどり」により編集するのである。
もちろん、最近では「ライブムービー・メーカー」を使い、デジカメで撮影した動画により編集も可能だ。
この映像の元になる画像は、全て小学校の昼休みに収録する。
運動場の画像は、「A=多くの子どもが遊んでいる場面」と「B=あまり遊んでいない場所」の2画面を収録する。
そして、昼休みの教室は、「C=だれも残っていない教室」と「D=多くの子どもが残っている教室」を収録する。
この4つの画像を、A+C  B+D とを組み合わせ、よく似たナレーションを入れる。
そして、「決まりをまもる活気ある学校」と「決まりが守れない元気のない学校」の2種類のイメージに編集するのである。
この2つのニュースを視聴させ、それぞれの感想を発表させる。同じ学校なのに、なぜ真反対のイメージになるのかを考えさせていく。
最後に「同じ昼休みに撮った画像を使い、組み合わせを変えました」と意図的に編集したことを,発表する。
このことで、「情報は操作できる」ことに子ども達は気づいていく。(大学生もみごとだまされたが・・・。)
2011年3月の「東日本大震災」以後の「原発報道」なども取り上げ、テレビの報道が「事実でない」ことに気づかせることもできる。(板書の写真)
以上、講義の中から学生にとり印象が深かったものを取り上げて見ました。

間 森 誉 司 Mamori Takashi
和歌山大学教育学部講師(非常勤)

2012年6月10日日曜日

少しの工夫で授業が変わる 第2回

「教育新聞」の第2回連載記事を紹介します。
“授業デザイン”欄「少しの工夫で授業が変わる」
今回は小学校5年生、産業学習として「有田みかんを育てる人々」を題材に授業を組み立てました。

間 森 誉 司 Mamori Takashi
和歌山大学教育学部講師(非常勤)
<URL> http://www2.117.ne.jp/~mamori/

「日本の農業(漁業)学習のねらい」5年生産業学習をどう教えるか

「小学校・社会」第9回講義(2012年6月5日)の報告です。
今回のテーマは「日本の農業(漁業)学習のねらい」5年生産業学習をどう教えるか―でした。
①実物の小麦や稲穂を教室に持ち込んでスケッチ!
兵庫県たつの市の近郊農家では、素麺と醤油の原料の「国産化率」を高めるために、「小麦」を栽培しています。
今回は、その農家に一声かけて、小麦を数株刈り取らせて頂きました。
(稲穂は、昨秋から準備していたのですが、軒先に干していて雀に食べられてしまいました。)
スケッチからの“気づき”を学生に発表してもらう。(写真1,小麦のスケッチ)
「初めて見た。」「小麦は白い粉のイメージしか無かった。」「小麦を初めてじっくりと見た。」
「意外と針のような部分がとがっていた。」「小学校の教師として知っておくべき基礎知識だ。」など,初めての小麦との出会いは“好評”でした。
②「小麦の種類」を写真で紹介した後、小麦の生産量、輸入量、自給率など、日本の小麦生産の「現状」を解説しました。
かつて日本の農村では、裏作に「小麦」を生産し、その刈り取りが終わってから稲を田植えする「二毛作」を行っていたこと、
近年、少しずつであるが「麦の自給率」を高める努力がなされていることを話しました。

②稲・藁・籾・籾殻・ぬか・玄米・白米の違いが、わかりますか?
例年なら、ここで稲穂(実物)のスケッチをして、この違いを説明します。(今回は雀の犠牲になりスライドで)
農業学習をする上で、この違いが分かることは「社会科の基礎基本」だと思うからです。
「藁」も知らないで「わらじ」づくりもないし、「ぬか」を知らずに「ぬかみそ」もなし、「玄米」を知らずに「玄米茶」もないでしょう。
以上の「小麦」と「稲穂」の実物紹介は、農業学習の講義では、学生から毎回好評です。
稲穂は、小学生時代に体験的に見ているが、「小麦」は、初体験という学生が、70~80%程度いるのです。
③「日本の農業の現状」をどう教えるのかが、この講義の課題です。
小学校の教科書では、「近代的な農法」を取り入れている典型例が紹介されており、日本の農業の実態をリアルに学べるとは言い難い内容です。
でも、その教科書や社会科資料集などを活かしながら、体験的な学習・見学学習を取り入れることにより、「日本の農業のすがた」をつかませるようにすることが大切です。
そのために、農協や農家、営農組合の協力を得ながら「農業体験=稲刈りや田植え」などを体験することが,子どもの関心を高める上でとても大切です。
そして、厳しい中でも農業に携わっている農家の人々の「労働と生産」の姿に接することで、日本の農業の“現状”に眼を向ける授業を組み立てることができる意義を説きました。
また「自給率」の現状を話し合い、一方で政府が進めようとしているTPPについても、教師として日本国民として関心と「自分の見解」を持つことの意味を強調しました。
④農業学習や漁業学習は「スーパーマーケット見学」から拡がり、深めることができる。
スーパーの野菜売り場(果物)や魚・水産物売り場の見学から、日本の農業の現状や外国との関係、漁業の現状と輸入のようす等を学ぶことができることを取り上げました。
また、その見学を活かした授業の作り方や板書のまとめ方も、実際に授業を記録したスライドを紹介しながら進めました。
5年生の社会科は、農業・工業・情報通信業・日本の地理など学習内容が多く、よほど工夫を市内と「教科書を読んでまとめた」的な学習で終わりです。
そして、現実には「知識理解」「事柄の暗記」に授業がなってしまい、日本の農業の現状と問題点、農業で働く人々や消費者の願いを理解しないままの学習に終わってしまいがちです。
たった一つの稲穂や小麦の穂、バケツ稲の田植え、そしてスーパーでの実物との出会い・・・・工夫を重ねれば楽しい生き生きとした授業が作れることを紹介しました。
大学の教室前面に提示した小麦の穂、教室が「麦畑」に変えることができました。
(写真2,教室風景)

間 森 誉 司 Mamori Takashi
和歌山大学教育学部講師(非常勤)
<URL> http://www2.117.ne.jp/~mamori/

2012年6月3日日曜日

和歌山大学教育学部「小学校・社会」第8回講義の報告


和歌山大学教育学部「小学校・社会」第8回講義の報告です。


 

今回は、小学校4年生「地域開発教材」と「地域の先人」の学習方法について講義をしました。

たくさんの実践例を紹介した中で、学習後の感想文から好評だったものを幾つか紹介します。


 

①先人とは何か?を、さりげなく“担任のセピア色の顔写真”を潜りこませて考え話し合う。

たつの市がうんだ故郷の先人―三木露風(童謡赤トンボ詩人)三木清(哲学者)矢野勘治(一高寮歌作詞)の写真を提示していく。

最後に見せたのが「セピア色の担任の写真」である。専科の時は、子ども達の学級担任(若い先生)の顔も提示した。(資料作成のコツは、必ずセピア色に印刷することである)

このようにしてから、「この中で先人と言えない人はだれだろう?」と質問を投げかける。

「間森先生は、生きているから、先人ではない」「まだ、大きな実績がないからダメ」「世の中のために役立つ立派な仕事をしていないから先人ではない」

「でも、先生は教育テレビにも出ているし、本も出版しているから、少しは”先人“と言えるかも・・・」など―賑やかに先人論議が始まっていく。

本物の先人の肖像画に、たった一枚だけ担任の肖像画を忍び込ませるだけで、子ども達の学習意欲が俄然変わって行くから楽しい。


 

②和歌山県がうんだ「故郷の先人」を取り上げて・・・との学生のリクエストに応えて、手軽に教材が入手できた「松下幸之助」(パナソニックの創業者)を取り上げてみた。

この学習で、準備したのが「学習漫画・松下幸之助」、「二股ソケット(大型家電店で購入、切り替えスイッチ付き)」である。

最初に、「松下幸之助について知っていることを、何でも話してごらん・・・。」と(4年生になった気分の)学生に問いかけた。

ナショナルの創業者、電機メーカーの元社長、和歌山県出身である,世界的な家電製造業―パナソニックの創業者・・・・など,一般的な回答が出て来る。

(意外と和歌山県の出身であることを知らない人が多いようである)


 

③次に、準備したのは「学習漫画集英社版・松下幸之助」から引用した、「松下幸之助の幼年時代」の年表である。

少年時代の彼は、波瀾万丈の人生を送っている。

大庄屋の家に生まれるが、父が米相場に失敗し、和歌山市内に転居。履物店を始めるがやがて倒産。

5歳の時に、長兄・次兄・次姉が亡くなる。9歳で、小学校を中退し、奉公に。12歳の時に父の政楠も亡くなる。

この少年期の苦しみを、同世代である4年生の子ども達の「いま」と重ねて考えさせる。「どんな少年時代を送ったのだろう?」と。

「伝記」や「お話し教材」は、学ぶ子ども達の年齢と近い方が「心理的な共感」「親近感」を覚えやすく,心に響くものが大きい。


 

④次に、「学習漫画」のあるページを提示する。15歳の時に大阪市電が開通jし、市内で電車を見たときの驚きの場面である。

彼は、その最後のコマで「そうか!電気や!」と声を上げている。この驚きに着目させて、次のように発問する。

「幸之助が、「そうか!電気や!」と思ったわけを書き、話し合いましょう」と問いかける。

電気のすごさ、電気の将来性に着目した彼の「転機」ともなる出会いを話し合い,深めるのである。


 

⑤当時の電気の契約は、「一戸一灯制」でどこの家も、一軒に1灯の灯り(電球1個)しかついていなかった。

二股ソケットが出回り、それに継ぎ足すことで電灯を複数個使用することが可能になり始めていた。

しかし、粗悪品で値段もかなり高かった。そこに目を付けた幸之助は、切れた電球の金属部分をリサイクルする手法でソケットを製造し、コストを抑えた。

これが、爆発的な売れ行きを示し、一躍会社が発展していくことになる。(写真Ⅰ・幸之助が作った二股ソケット)

ここで、子ども達(学生)に見せたのが、二股ソケットである。(写真Ⅱ・現在販売されているもの=1個500円程度)

これを10個入手し、数人に1個を配り、実際に操作させてしくみを観察させた。(ほとんどの者が初めて見たと言う)


 

⑥教室前面には、実際にコンセントに接続させて、灯りが点くように提示した。そして、数人の学生を前に呼び、実際にスイッチのヒモを操作させ、どのように使うか、どのように電気が点くかを確かめさせた。

そして、操作した感想を順次発表させた。(写真Ⅲ・二股ソケットを操作する学生)


 

このようにして「二股ソケット」という実物資料を取り入れることにより、当時の電灯事情とそこからアイデアを得た幸之助の着想に共感させる学習を企画した。

たった一つの「二股ソケット」の実物で、幸之助の発明を、具体的につかむことができたのである。

もちろん「幸之助のアイデアに感心するだけ」がこの学習の目標ではない。彼の発明が、爆発的な普及を遂げたのは、「人々の生活を変え、豊かにすること」に結びついていたからであることを忘れてはならない。

先人の“偉業”は、先人の努力や工夫が素晴らしいことは言うまでもないが、それは民衆の支持と結びついたとき大きな力を発揮する。

そこに眼をむけずに、ただ単に「偉業を成し遂げた先人の知恵にのみ驚き、感激し、感謝する」授業に終わったのでは、それは『道徳』でしかありえない。

また、近年の「松下政経塾」の評価などについては、様々な意見もあろうと思う。そのことは、敢えて論じないで、紀の国がうんだ偉大な経営者の教材化のポイントを解説した。







間 森 誉 司 Mamori Takashi

和歌山大学教育学部講師(非常勤)
URL http://www2.117.ne.jp/~mamori/

2012年5月27日日曜日

和歌山大学教育学部「小学校・社会」講義の報告

和歌山大学教育学部「小学校・社会」講義の報告
2012年5月22日は、第7回「小学校・社会」の講義でした。
テーマは「中学年の社会科学習―地域学習でゲストティーチャーをどう活かすか」にしました。今回の「実物資料」は、コンビニ・ローソンの“制服”です。学生が揃うまでの間、私がこの制服を着て教室で待っていました。
「どこでゲットしたんですか?」「借りてきたんですか?」「今日はコンビニの学習ですか?」など声をかけながら席に着いていきました。この制服1枚で,教室は「コンビニ・ローソン」という“異空間”に変わっています。
このコンビニ制服は、インタビューの練習で使うために、知り合いの店長から借りてきました。他には、実物教材として「あまなつ」「南高梅ぼし」「造花のチューリップ」「米袋」を準備しました。
そして、これらの品物を使い、12の班に「それぞれの生産農家や店長」にインタビューをどのようにしたらよいかを考え、まとめて「役割演技」として発表させました。
そのインタビュー方法として取り入れたのが、「インタビューの3用語」=「①きっかけ」「②ご苦労」「③今後の抱負」でした。
この3用語を使って、学生達はインタビューの質問とそれぞれの職業の人々からの回答を考え、3分以内で報告しました。
米作り農家では「後継者問題の悩み」を織り込み、コンビニでは「店の前で若者がたむろし,ごみをするので困る」など、実感がこもったやりとりもあり、教室は爆笑の渦に包まれていました。
このような「実技」を取り入れながら、ゲストティーチャーとして地域の人々の協力により進める「地域学習」の方法を話しました。
「インタビュー3用語」については、間森誉司著「小学校社会科地域学習指導ハンドブック」1415ページに詳しいので、参照いただきたい。
司 和歌山大学教育学部講師


2012年5月20日日曜日

平和バスツアーその2 高浜原発へ 5月13日 (2)

高浜原発見学ツアーの続報が入りました。


つぎはいよいよ高浜原発へ!Ӥä舞鶴を後にして、いよいよ高浜へ
すぐとなりなので、舞鶴から高浜へはすぐに移動できました。
若狭湾にある原発で、一番近い原発です。
西から 高浜・大飯・美浜・敦賀 と原発銀座といわれるくらい原発がならんでいます。

10年ほど前に私は、大飯原発と美浜原発の見学に行ったことがありますが…
そのころは、関電が 原発は安全ですとしか 説明していませんでした。
私も そのころは現代社会で 原発を授業で取り上げていたと思います。
それが昨今原発の授業はしていませんでした。
後悔というか、責任を感じていますが…

1.若狭たかはまエルどらんど
関西電力の原発ピーアール館ですね!
子どもが電気を体験できるようになっていたり説明してあったりします。
関西電力が多くの資金を出して維持しているのでしょう。
入場は無料でした!
原子力発電のしくみや燃料の模型があったりしました!
過去とかわっていませんでしたが…
パンフレットに「東日本大震災の後の対応」と称して
地震や津波対策を行ったことが、説明してありましたが…
再稼働に向けてでしょうね!

展示の様子
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この燃料棒が、フクシマでは融けて落ちたとは?すごい事故だ!

後になって館長さんの説明があったそうですが、私は聞きそびれました。
今原発が動いていないので、原発に大量の電気をおくっているのだそうです。

このピーアール館や高浜や大飯に建っている箱ものは、すべて原発マネー=つまり
私たちが払っている電気料金ですね!ܤäƤ
このような地域にこのようなものは必要ないでしょう!

高浜原発の近くまで行った!
海岸線でさらに北へ行ったが、高浜の町からはみえないところに建っている。
このようなところに民家はないと思っていたが、あった!
もし事故なら ひとたまりもないだろうな?

とにかく正門前へ
海岸線から写真を撮っただけでしたが…なかなかいけませんね!
このようなツアーでもくまないと?

では高浜原発をご覧下さい!
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温排水溝です
海水が 7℃上昇して出てくる 養殖もしているとか?
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まわりは立ち入り禁止区域!
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やっぱり原発はアカン!原発ゼロを継続するべきだと強く思って
帰ってきました!
すこし到着時間が遅くなっちゃいましたが…
このような感じのバスツアーでした。
若い人を一人でも連れて行きたいですね!今度は…

授業研究所 第19期教育講座の報告

兵庫歴教協会員の間森さんから報告です。

 2012年5月19日(土),授業研究所(主催・清風堂書店、代表・秋葉英則大阪教育大名誉教授)の第19期教育講座が大阪市内の「エルおおさか」で開かれました。
 講座は、国語から音楽まで13講座あり、参加者はその中から1時限から4時限まで4つを選んで受講できることになっています。
 私は、当日は4時限・社会科「授業がうまくなる簡単なテクニック」と題して、1時間40分間講義をしました。
 
 前日までは、「今年は出足が悪く、参加者が少なくて20名弱程度です・・・・。」と担当者から聞かされていました。
 ところが、会場に着いてみるとびっくり!―どの講座も,人があふれているではないですか!
 「当日申し込みが多くて,急遽レジメを増し刷りしているところ。嬉しい悲鳴を上げています。」とは先程の担当者のことば。
 社会科の講座も、例外でなく40名近い参加者に増えていました。
そこで、何時ものように座席は、ペアになり座っていただき、「40人学級の模擬授業」として参加形式で講義を進めました。
 今回の講義の話しのポイントは,次の5点にしました。
①「切り口」の役割と大切さを学ぶ。
②「発問」の大切さを学ぶ。発問で変わる子どもの意欲
③「実物資料」の活かし方と効果を学ぶ。
④「書き言葉から話し言葉への転換」で子どもの発表力を高める。
⑤板書を活かした指導細案の作り方と研究授業“必成功法”について
 少し盛りだくさんでしたが、パワーポイントとワークシートを活用しながら講義をしました。
 「みなさん、今日は3年生になって答えてください。もし違っても3年生の自分が話したこと―と考えて何でも話しましょう。」
とお願いしました。
 そして、資料や写真などを提示しつつ、受講者の発言を取り上げたり、実際に子どもになって、前に立ち作業をしてもらいました。
 全員参加型の講義でしたが、高い参加費(4時限で5,000円)を払って参加している現職や学生さんだけあって、真剣そのもの。
 だれ1人眠る人もなく、あっと言う間の100分間でした。
 最近は、現場が多忙でなかなか時間がとれず、このような講座も事前申し込みがしたくても思い切れない人が多いようです。
でも、ぎりぎりになって「行ってみよう、参加してみよう.」と考え誘い合って参加された方が多いようでした。
 大変な情勢の中で、良い授業をしたい、楽しい分かる授業をしたい、授業技術を上げたい・・・このような願いが熱く伝わってくる講座でした。
 講義が終わってからも、質問にきたり,紹介した資料をデジカメに収めたりする方も多く、充実感のある教育講座でした。

間 森 誉 司 Mamori Takashi

和歌山大学教育学部講師(非常勤)


2012年5月14日月曜日

稲ちゃんのブログが更新 高浜原発バスツアー

北はりま教育9条の会6周年 平和バスツアー 5月13日(日)
 
平和バスツアーで 久美浜・舞鶴・高浜へ行って来ました!ϡ
8:30小野市役所前の駐車場を出発 26名の参加者 大型バスでゆったりとした旅でした。
天候は晴天でした。参加者は私が一番若かったでしょう?

1.反原発の運動をされた岡下さんに話を聞きました!ϡ
すごいお話でした。関西電力が久美浜に原発を誘致しようとしたのが、1957年。
それから31年間の運動というか闘争が始まりました。
労働組合や民主団体などが、連帯して反対運動を
1万人の有権者の約7割の署名を議会に提出
しかし当時の自民党多数の市議会は、コレを否決!ܤäƤ
そこから運動が盛り上がる!
関西電力の金にものをいわせた懐柔策!
イベントにただ酒を住民に飲ませるだの関電職員の家庭訪問などありとあらゆる手を使って
原発誘致をせまってきたということです。まだ原発の立地調査をする段階から多くのマネーが動いていたのです。

これに対して連絡会を結成! 署名活動ならびに学習活動に力を入れたそうです。
原発の先進地 高地の窪川や新潟の巻まで行ったそうです。学者さんや研究者もたくさん
この久美浜の地を訪れています。ノーベル賞をとった益川先生も来られたとか?

そして、最終的には関電は原発を立地しないことを決めて 闘争は終わる!
長い闘いを継続できたのは、連帯のおかげ、協力者とくに住民の女性の力だと 岡下さんは
言われていました。これからは、原発再稼働反対!原発ゼロを継続する闘いが始まっているとのことでした!82歳の高齢にもかかわらず、明瞭な言葉遣いでよくわかるお話でした!
ありがとうございました。授業でも生徒らにも話したいと思いました。

間森さんが「教育新聞」にコラム連載


 兵庫歴教協会員の間森さんから次の連絡が入りました。

 
 東京の「教育新聞社」の「授業デザイン」の欄にコラムを800字で連載することになりました。10月まで毎月1回ですが・・・。その第1回目の記事を添付します。


太平記を歩くシリーズ 第3回

今回は摩耶山です。

太平記を歩くシリーズ 第2回

太平記シリーズ第2回です。

太平記を歩くシリーズ 第1回

散策をするにはぴったりの季節ですね。兵庫歴教協の歴史ガイド大木さんが紹介する『太平記シリーズ』の第1回です。

2012年5月5日土曜日

「3.11」以後の日本の憲法と思想

5・3 神戸憲法集会 稲次メモから

「3.11」以後の日本の憲法と思想
 神戸憲法集会記念講演                                    2012年5月3日
 小森 陽一(東京大学教授)
Ⅰ:「3.11」から一年が明らかにした現実
1 「犠牲のシステム」(高橋哲哉)としての福島と沖縄
 過疎の地方が犠牲になってきた
 福島:東京の電力のために原発を
 沖縄:平和のために米軍基地を

 民主党政権もこの問題で倒れた
 鳩山:沖縄の普天間基地  菅:原発事故から原発ゼロへ

2 「偽りの豊かさ」フクシマ 「偽りの平和」オキナワ
 大地震が起きなかった時期の「高度経済成長」と「ベトナム戦争」

3 千年単位で人類史と地球環境とを、地震火山列島日本において問い直す
 高度経済成長した50年間 たまたま大地震がなかった
 日本では木造家屋が多い すぐにつくれてすぐに壊れる

Ⅱ:暴走する原発再稼働への動きを阻止するために
 どうして野田政権は、原発の再稼働したいのか?
1 福島第一原発の原子炉の中もどうなっているのか、分からない状態
 事故の検証もまだこれからなのに
  ↓
 「事故収束」宣言のウソ
  ↓
 原発を海外輸出する策動
 (ヨルダン、ロシア、韓国、ベトナムへ) 原発ができることは住民に知らされないまま

2 北海道の泊原発が とまると 「原発ゼロ」実現する!
 5月6日になる

3 原発再稼働=稼働していることが「潜在的核抑止力」となる
 石破茂『SAPIO』2011.10.5
 日本はいつでも核武装できる

Ⅲ:戦後の日本はどうだったのか?
1 大江健三郎の「あいまい」 『世界』2011.5
 米の核抑止力のもとで安全
 原発の安全神話
 同じ構造で日本のあいまいさを著している

 日米安保体制下の米「核の傘」の安全
 原子力発電所の「安全」に対する根拠のない確信
 同じ構造

2 中曽根康弘、正力松太郎らの原発政策の推進(初の原子力予算 1954.3.3)
 アイゼンハワーの国連演説「アトムズ・フォー・ピース」(1953.12.8)

 1990年イラクがクウェートへ侵略 冷戦後初
      国連は全会一致でイラク制裁決議
      日本は自衛隊の派遣を検討 当時海部首相 小沢自民党幹事長
      廃案になった 内閣法制局長が違憲だとして認めない

 米は怒る 日本はカネだけか?血は流さないのか? 自衛隊は出さなかった

 1992年 宮沢内閣 PKO協力法により自衛隊を国連平和維持活動へ派遣する 

 中曽根が原子力予算をつけたのは 1954年3月 予算は2億3500万円
 どうしてか?
 第五福竜丸事件(ビキニ) 1954年3月1日におきている
 ウラン235だから 2億3500万円の予算計上
 54年3月3日には国会を通過している
 アイゼンハワーの演説を聞いて予算をつけた(中曽根)

 アイゼンハワー大統領は、第二次世界大戦に勝利した軍人
 アメリカの世論 歴史認識を形成する
 米はパールハーバーで攻撃されたので参戦
   ↓
 戦争を終了させるために 原爆投下 正義である

 国際連合:UN
 連合国:UN
 あいまいにごまかしている

3 マッカーサーは朝鮮戦争(1950)で核兵器を使う予定だった

Ⅳ:「3.11」からアジアの『戦後史』を再構築する
1 ヨーロッパにおける「東西冷戦」体制とポツダム会議からポツダム宣言へ
 アメリカの核爆弾事件成功が前提

2 国体護持を理由とした「ポツダム宣言」受諾拒否(1945.7.28)による
 ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下 ソ連参戦は8月8日

3 中国で「国共内戦」と天皇のオキナワメッセージ(1947.9)

4 冷戦における核兵器量産体制と原子力発電所の「潜在的核抑止力」

Ⅴ:一つ一つの現実を憲法から見直し、変えていく草の根運動を!
1 22条、25条、26条、27条の思想的連関性を日々の生活の中で明らかにしていく
 22条:居住・移転・職業選択の自由
 25条:生存権 社会保障
 26条:教育を受ける権利
 27条:勤労の権利
 3.11ですべて奪われている!
 原発関連死:1618人

 この原因は憲法違反の小泉構造改革だった!
 被災地では、今こそ憲法の出番だ!
 被災地の9条の会 被災者一人一人に聞き取り 9条の会が一人一人をつないでいった

 橋下「すべて9条が悪い」という発言
 9条があるからやりたがらないことはやらない
 湾岸戦争の時9条があるから国際貢献できない
 同じ発想である
 93年の細川内閣(非自民)の夢をもう一度 狙っている
 多くの人をだまして選挙に勝っている
 小泉の郵政民営化選挙と同じ 大阪維新の会も同じ

 改憲
 2008年から憲法を変えない方が上回ってきた

 自民党のあたらしい憲法草案に 大阪維新の会はのるだろう
 橋下 自己責任→公務員や教師が悪い 

 何が本当に悪いのか?
 対話をする
 ものを考える 本当に憲法の出番だ!

2012年5月4日金曜日

お詫び

レイアウトを変更したり、見出しをつけ直したりしていたら、投稿順が入れ替わってしまいました。
お詫びします。

教育実践「パワーアップ学習会」 授業づくり・学級づくり

教育実践「パワーアップ学習会」 授業づくり・学級づくり


  • 日時
    2012年04月08日 09:30
  • 内容
    えんぴつ 教育実践「パワーアップ学習会」のお知らせ
    日時:4月8日(日)午前の部 9:30〜
    午後の部 13:30〜
    会場:神戸勤労会館 308号室、403号室

三木・相野飛行場を探る

三木・相野飛行場を探る


北はりま教育9条の会主催の市民平和講座に参加しました。講師は、宮田逸民さん(三木市文化財保護審議委員)でした。
30年ほど前から相野飛行場について研究を進めておられて、すでに1993年に「三木飛行場ノート」を『三木史談29』三木郷土史の会に発表されています。
相野飛行場は三木市、稲美町、加古川市にまたがり面積199㏊におよぶ比較的大きな飛行場で、1944年3月から工事を始め翌45年1月には一応の完成を見た戦時期の飛行場です。主に陸軍の飛行隊の教育訓練のための飛行場であり、敗戦前にはここから沖縄方面へ特攻を行うために飛び立っていきました。
宮田さんは多くの方の証言をとられており、また現地の調査も行われており、今研究ではやはり第1人者だと思いました。
特に滑走路が三本あったことや無蓋掩体壕の存在は私も知らなかった事実で、もう一度現地調査に行く必要を強く感じました。
参加者は15名ほどで、世話人の稲次寛さん(兵庫歴教協事務局次長)と上野会長が参加されました。

さて、兵庫歴史教育者協議会のニュースをブログを活用して行うことにしました。どのような運用になるのか、手探り状態ですが、そろりと船出したいと思います。

5・3 神戸憲法集会の様子

まずは写真で雰囲気をお伝えします。500人を越える参加者で会場は満杯でした。



『中学歴史・公民 育鵬社教科書をどう読むか』

『歴史地理教育』5月号発売中

2012年05月号 (№789)
特集 沖縄「復帰」四〇年
〈インタビュー〉日米関係強化に利用される沖縄基地問題
  西山太吉〔聞き手/山口剛史〕
「復帰」四〇年が照射するもの 宮城康博
〈インタビュー〉「ゆがふ店長」が語る「復帰」の前と後
  藤木勇人 ぬーやるばーが 川島啓一
小学校の授業
6年 連載〈6年生の歴史学習〉②奈良の大仏 早川寛司
6年 明治政府と神丘 金本裕二
中学校の授業 歴史
歴史 大正時代をどう教えたか 小畑典子
高校の授業 高校修学旅行
アカデミックな、ひと味違った旅行をめざして(上) 中島裕之

連載
探訪ミュージアム
▼エドウィン・ダン記念館(旧北海道庁真駒内種畜場事務所・北海道札幌市南区真駒内) 佐藤広也
歴教協第 64回千葉大会・菜の花だより⑤
▼授業改革のパイオニア日本史部会──三〇年、三五〇回続いた例会の秘密 楳澤和夫
子どもの目
▼新聞記事への思い 坂本謙

▼捕虜を殺さない兵士再論ー『歌集 小さな抵抗』に寄せて 今野日出晴
地域ー日本から世界から200
▼ハンガリーを訪ねて 村松邦崇
東日本大震災の被災地から⑤千葉
▼ホットスポット下の地域と学校 田中正則
世界を歩く
▼虹色のボリビア(1)ボリビアを知っていますか? 井出教子
映画を語ろうか②
▼「選 挙」 松原誠司

読書室
『植民地朝鮮と愛媛の人びと』『戦時下の武蔵野Ⅰ 中島飛行機武蔵製作所への空襲を探る』『善光寺大地震を生き抜く─現代語訳「弘化四年・善光寺地震大変録」』『植民地朝鮮─その現実と解放への道』『いま、先生は』『これでいいのか小中一貫校─その理論と実態』

沖縄の思想が切り拓くもの 鹿野政直
実践/中学校地理・歴史 地域の平和活動と連携する平和学習 今井治
〈歴教協第30回中間研究集会報告〉福島の農民は今 大橋芳啓
2012年千葉大会に学ぶ② 現地見学ここが見どころ 千葉県歴史教育者協議会
【声明】河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める──あわせて、南京事件の事実を知る学習を広く呼びかける 一般社団法人歴史教育者協議会臨時社員総会(代表理事山田朗)
●写真●伝言板・いただいた本・実践記録から●北から南から─歴教協各県支部ニュース439●今月の動き●読者のひろば●次号予告

『育鵬社版教科書をどう読むか』発刊

高文研から『育鵬社版教科書をどう読むか』が発刊された。
兵庫歴教協からも執筆者に加わり、完成させた。歴史教育者協議会前委員長の石山久男さんは、法学館憲法研究所のホームページで次のようにコメントしている。
 購入希望者は、事務局まで連絡をいただきたい。



 育鵬社版教科書の採択に反対する活動を展開してきた「子どもと教科書全国ネット21」は、育鵬社版教科書の採択が増えたことに対応し、採択された地域の教員が育鵬社版を批判的に扱うための参考にしてもらうと同時に、採択された地域はもちろん採択されなかった地域でも、3年後の採択にむけて保護者、住民に育鵬社版の問題点について理解を深めてもらうための学習資料として、このほど『育鵬社版教科書をどう読むか』(高文研、1890円)を発行した。歴史研究者や法律家、中学高校の教員などが分担執筆したが、市民も編集委員に加わり、一般市民にも読みやすく、わかりやすい内容に仕上げるよう力をそそいだ。手軽な1冊の本にまとめるため、歴史33、公民34の重要なテーマにしぼり、それぞれ2ページ見開きにしたので、どこでも興味のあるところから読みはじめることができる。
 教育再生機構は3年後の次の採択では10万部の採択をめざしている。憲法「改正」の動きや「維新の会」の動きが活発化している状況をみると、民主主義も平和も掘り崩してしまうような教科書の採択がもっと増える可能性がある。『育鵬社版教科書をどう読むか』をぜひ多くの方々に読んでいただくとともに、市民、教員などのグループやさまざまな会で読み合わせてみるなど、多様な形で活用されることを願っている。(石山久男さんのコメント)

2012年5月3日木曜日

山家妄想 №127

山家妄想 №127 2012・5・1 水田全一


姫路広畑俘虜収容所通訳日記 

「望郷」と題した柳谷郁子氏の姫路広畑俘虜収容所通訳 田原栄の日記に基づく著作を紹介する。

詩人・作家と肩書きした伊藤桂一氏が「今次大戦の機微を、もっとも行き届いて解説する、国民必読の好著」「戦記書としてこれほどの人間的重量をもつ書は他にはない」と絶賛する序文を寄せているものである。もっとも著者柳谷郁子は「これは単なる戦記物ではない。二次()大戦()から五十年を経て発見された外国人捕虜収容所の通訳日記を、戦争の推移と重ねながら、一般庶民の日常的な視点と感覚でひもとき、紹介するものである」と、あとがきで記している。

「実はこのプロローグだけを独立させて一冊の本としたいぐらいなのだ。」と述べる「第一章 長い長いプロローグ」と、第二章以下の本文に分かれている。

プロローグはこの通訳日誌が著者の手に入るいきさつと、日誌の書き手田原 栄の父、すなわち「勝 海舟の落とし子」陸軍少尉 田原鑑一の『熊本籠城日誌』にまつわる事実の検証と感慨を、日記の提供者である田原 栄の嗣子田原芳広とともに進める過程を記述したものである。実に百五十ページを超える「長い長い」ものである。

 プロローグにみる限り著者は日本が行った戦争について、「少なくともあの当時の世界の潮流の中で、日本は、第一次世界大戦まではかなり真っ当に精一杯やっている」と田原芳広氏が語ったのに対して、「まあそのころまでは、日本は何とかいい時代だったんと違いますか」と応じる認識であった。

帝国主義の「潮流の中へ遅ればせながら割り込むことに、日本が躊躇もなく疑問や抵抗もほとんど持たず躍起になったのは、多くの国がそうであったように、日本ももともと国取り合戦を繰り返して統一国家を成してきた、いわば国のDNAによるもいのだろう。」との記述は、およそ帝国主義なる言葉を用いることをはばかりたくなるほどのものである。

第二次大戦までの日本の戦争について「日清・日中戦争は灰色であるとして、日本が百パーセント侵略を目的に軍を進めたのは秀吉の時だけである。あとはいずれも防衛上、或いは同盟上、或いは漁夫の利を得ようとして、或いは侵略の意図もあるけれど大東亜構想という大義名分を掲げて経済戦争と、本当のところは多分それらが全部混じり合って、戦ったものである。」と記すが、およそ科学的に検証された歴史観とは呼ぶことはできないだろう。

のちに「(昭和)十三年三月には良くも悪くも南京に日本の傀儡政権(水田注:中華民国維新政府―行政院長梁鴻志)が誕生していたのだから、抵抗勢力、つまりゲリラ掃討のための、日本側からいえば討伐戦争であった。」と記したくだりがあるが、この前年十二月十三日の日本軍南京占領にあたっての大虐殺事件への記述はない。

現在の時点で、「秀吉の時」だけが侵略戦争であると、かつて日本が行った近現代の戦争をことごとくニュアンスに差はあれ免罪するのは、平和憲法下に生きる日本人として許されるものではなかろう。歴史家ではない文学者であることを考慮しても、その文章は曖昧模糊としており、当然のことながら、日本の戦争責任自覚の観点は全く見られない。

著者が「弱肉強食と子孫繁栄が基本原則の生物の世のならいは、せめて人類だけに限るとしても、いや人類だからこそ、この地球上におしなべて豊饒公平な平穏平和が訪れるときなど永遠にありはしないのである。人間が人間であるかぎり、月に住もうと火星に住もうと、これだけは変わりのない真相に思える。」というならば、「『戦争否定』の論理にはたどり着くことができない」のは当然であり、戦争渦中の中国人捕虜に対する日本軍の処遇と比較するという観点もなくて、敵の捕虜を管理する役目を担った者たちの行動がいかようにあったかを検証してみても、その現在的意義は存在するのか疑問である。

たとえ「田原 栄は、それが天命でもあったかのように、誠心誠意、心をくだいて外国人捕虜たちのために精魂を尽くし、しかも楽しんだ。辛うじてよき日本人の誇りと名誉を守った―――、のだ。」と著者が考えたとしても、その誇りと名誉が世界に共感を持って迎えられるだろうか。

「戦後六十年、はじめて世に出る秘録」(詩人・作家 伊藤桂一 序)は、第二章に紹介されているのだが、プロローグにみたような立ち位置をもつ著者の手になる「コメント」は排除して、「秘録」に接する必要があろう。その「秘録」を読んでの感想は後日報告したいと思っている。

なお、田原 栄日誌紹介の終り近くには、田原芳広氏の娘、アメリカ在住の智子さんから提供された「戦勝と占領―――第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国海兵隊の活動史」、著者フランク・ショー(アメリカ海兵隊総司令部歴史局G三部門)の『捕虜』の項目のコピーも抜粋・紹介されている。

第三章は「日本国内の捕虜収容所 資料編」と題した「POW研究会ホームページ研究報告より」の抜粋である。(2012/01/30

久保富三夫さん『教職論』を上梓する


兵庫歴教協会員の久保富三夫さんが新著を上梓されました。私も取材に応じて中学校教師の一日に紹介されています。学文社から発刊されています。興味のある方は、ご覧ください。
私は、「保護者との関係」のところで、久保さんの高校勤務時代の実践が紹介されていて、さすがに現場をふんだ研究者だと思いました。その内容は、久保さんが学年主任の時に、高校でありながら8クラスの担任に全生徒の家庭訪問を1学期中に行い、保護者との関係づくりに役立ったということです。高校で全生徒の家庭訪問を実行することは並大抵ではなかったことでしょう。
もう一つは教師の同僚性の部分です。

教務主任や生徒指導部長などのリーダーに恵まれなかった場合、学級担任は極限まで追い詰められることがある。同僚性を学校全体に行き渡らせるのは、校長・教頭など管理職の重要な仕事であると書かれている。ここまではフツーですが、その後ろにこう書かれています。
「それはまた、教職員組合の分会の役割でもある」と校長・教頭の役割と並列して書かれていることもこの論文の特徴だなと思いました。

教師教育テキストシリーズ 2
教職論

岩田康之,高野和子 編

2012年4月5日刊行
1,890円(税込価格)



教育職員免許法の「教職の意義等」に関する科目のテキスト。
第1章と第2章では、これからの「教師」を構造的にとらえる視点と方法について扱う。続く第3章では、教育現場で働く「教師」以外の人々との関係から、4章は諸外国の教師たちとの対比から、5章では労働力市場全般との関係から、これからの日本で学校の教師になることの意義や課題を取り上げる。
6章~8章では主に、日本の学校で教師として仕事をしていく実際のありようを記述。
更に、教師教育が「大学」という場で行われていることの意義を確認したうえで、教師として行う実践や入職後のキャリア形成といった課題のとらえ方にも言及する。



第6章 学校教師という仕事
1 教師の一日
2 教科指導
3 教科外指導と学校運営
4 新たな教師像-teacherからfacilitator/coordinatorへ
5 教師集団と保護者

「切り口論」をテーマにしながら講義を

マモさんから、大学での授業報告が入りました。



 今年度の「小学校・社会」(前期)は、履修者が96名で、昨年より約20名の増。

2011年度よりも,グレードアップして「切り口論」をテーマにしながら講義を組み立てています。

第4回の講義は、教室に「羽釜」を持ち込みました。(写真1)


そして、3/4年生「昔と今の道具」 5年生「工業の発達と私たちのくらし」の双方の視点から

授業の進め方、組み立て方や中学年と高学年の社会科や生活科との違いを解説しました。






初めに、96名(連休の谷間で、欠席者がいたので80名ぐらい)12の班それぞれに「発表順番」を決めさせました。

私は、ピンマイクをつけ、学生=5年生の子ども役のために、もう1本スタンドマイクを前に立てました。



そして、いよいよ45分・96人学級の社会科授業を開始しました。

(こんな経験は初めてでした・・・・。)

パワーポイントで、あらかじめ準備しておいた「板書計画」を、順番に“書いて”行きながら進めます。

①羽釜の実物の包みをとき、見せながら、「これは羽釜と言うんだが、何で羽釜と言うのだと思う? では、各版1番の人が前に出て、マイクで考えを言いましょう。」

「羽のような部分があるから・・・」「横に羽がでているから」「土星のような輪が回りについているからなど、様々な意見を発表。(写真2)


「この羽は、ご飯や汁が、煮えてこぼれた時に竃の炎の中に入らないためと下から薪で焚くときに,熱効率を良くするためなんだよ」と教師が補足。



②では、「羽釜はどうやってご飯を炊くんだろうね? 2番の人が発表。5年生の気持ちになるんだよ。」

このようにして、羽釜が終わったら次は「IH電気炊飯器」の写真を提示し、同じように「ご飯の炊き方」や「便利な点」「問題点」などを発表していきます。

詳しくは、写真の「板書計画」をご覧ください。(写真3)



③「羽釜」と「炊飯器」の使い方で授業を終えるのは、3年生の「昔と今の道具」の学習の目標。

せいぜい、比較の学習を入れて、昔と今を比較して話し合おうと発展するかだが・・・。







④次に「家電製品の普及率のグラフ」を提示します。そして、何が読み取れるかを学生に発表させていきます。

「冷蔵庫・洗濯機・カラーTVが,1980年代には,ほぼ100%普及している」「エアコンとパソコンは、まだ100%ではない。」などの意見。

そこで、女子学生を指名して「どうしてエアコンは100%でないの? 絶対100%にならないと思うんだけど・・・」とヒントを与えながら質問。

「北海道や山間部で、エアコンを必要としない地方があるから、日本は南北に長いから・・・・。」と、自分の考えを発表。

すかさず、あとの学生から拍手! まるで「小学校に戻ったみたいだった。」と感想カードには書かれていた。



⑤家電の普及率を確認した後は、「家電が普及して、家庭生活はどう変わったかな?」「だれが楽になっただろう?」が次の発問。

「母が祖父母が楽になった」「家事労働が軽減された」「子どもの労働も楽になった」とか「家族の団らん時間が増えた」「家族の協力が減った」

「女性の社会進出が増えた」・・・など、様々な意見が活発に出てきました。

ほぼ意見が出尽くしたところで,「実は、多くの社会科の授業は、ここで便利になったね!でしめくくって目出度しで終わる場合が多いのだよ」

本当に社会科らしい授業は、再度「学習課題に返らなければならないのです」といって次の質問を投げかけました。



⑥「本当に私たちの生活が、豊かになったと言えるでしょうか?」と。

「言える」「言えない」「どちらも」と論議させ、前に出て双方の意見を理由をつけて発表します。

ほぼ出尽くしたところへ、「先生は、連休に田舎に山菜採りに行ったら、こんな風景を見つけたよ」と言いながら

「写真・山中に廃棄された家電ごみ」を提示しました。(ネットから引用)

この1枚の写真から「環境問題」「資源問題」「無駄遣い」など「負の部分」へと目をむけていきます。

最後に,究極の選択は「福島原発事故の写真」を提示し、工業の発達」を、これまでのような、「安全神話」スタイルで教えても良いのかを考えさせ、「96人学級授業」を終えました。



学生からは、教師はコンダクターの意味がわかった  教師主導でなくて「児童主体」だった・・・など

子どもたちが発表していくだけで、自ずから学習目標が達成できていく 教師の授業で果たす役割がよく分かった・・・など

大変好評でした。

今回は本物の「羽釜」が切り口でしたが、今後の講義でも新たな発想から、学生参加の講義を組み立てていこうと考えています。




司(和歌山大学教育学部講師)