昨年の清水寺貫主さまの揮毫は「絆」であった。
東日本大震災以来、人と人とのつながりの大切さが強く自覚されて、たとえば独身男女の結婚願望も増えているということを聞く。そのような世相を代表する一字として選ばれたとうけとった。
しかしながら人と人とのつながりは、そのように直接的なものだけではなく、もっと奥深いものがあるように思えてならない。
そのような思いを抱いていたとき、石巻の小学生の話を耳にした。
ある小学校の184人の子どもたちは、放課後地域に散らばっていた中で大津波に遭遇したが、全員無事であったという。他の小学校では避難をめぐっての意思統一に手間取り、判断の誤りも重なって校庭に集合した全校児童が津波に巻き込まれ、大きな被害を被ったところもあるというのに。
無事であった理由を、識者は次のように述べていた。
第一は自然とのかかわりについて、自然に対するとき自分のベストを尽くすという心構えを徹底しておくということ。直面した事態に対して、持っている知識をすべて使って対処する姿勢を、不断に身に付けていなければならぬということ。
第二は「津波てんでんこ」が、本当の意味で理解され徹底していたことだという。
「津波てんでんこ」は、津波の時は「てんでに」一刻も早く安全と考えるところへ逃げるということが大事という教えであるが、ともすれば肉親などを慮って逃げることをためらうことがあるのを戒めている。
これを実行するためには、深い信頼感の存在が必要である。
自分がまず安全と考えるところへ逃げる。自分が安全を確保できることを知っておれば、母もまた自分に気を掛けることもなく、自身の安全に全力を尽くすことができる。
このような深い信頼感で結ばれていてはじめて互いの無事が保たれる。これを絆という。
このような個人の自立した行動には主体性の確立が前提になる。
自然に対するときも、社会に対しても主体的に判断し行動することは、学齢に達した段階で意識的に身に付けさせることが必要である。教育の重要な要素であるといえるのではないか。
石巻の184人の学童たちは、まさにこのような自主性を確立するための教育を受けていたといえるだろう。
さきのたくさんの犠牲を出した小学校でも、津波という言葉を聞いて裏山に駆け上って難を免れた少数の児童もあると聞くが、この事実は現在の日本の教育で重視されなければならぬ一面を示しているといえるのではないだろうか。
そして「絆」という言葉は、ただ人と人の結びつきという側面だけでなく、個人が主体性を確立することの重要性を教えるものといえないか。(2012/01/24)
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