三木・相野飛行場を探る
北はりま教育9条の会主催の市民平和講座に参加しました。講師は、宮田逸民さん(三木市文化財保護審議委員)でした。
30年ほど前から相野飛行場について研究を進めておられて、すでに1993年に「三木飛行場ノート」を『三木史談29』三木郷土史の会に発表されています。
相野飛行場は三木市、稲美町、加古川市にまたがり面積199㏊におよぶ比較的大きな飛行場で、1944年3月から工事を始め翌45年1月には一応の完成を見た戦時期の飛行場です。主に陸軍の飛行隊の教育訓練のための飛行場であり、敗戦前にはここから沖縄方面へ特攻を行うために飛び立っていきました。
宮田さんは多くの方の証言をとられており、また現地の調査も行われており、今研究ではやはり第1人者だと思いました。
特に滑走路が三本あったことや無蓋掩体壕の存在は私も知らなかった事実で、もう一度現地調査に行く必要を強く感じました。
参加者は15名ほどで、世話人の稲次寛さん(兵庫歴教協事務局次長)と上野会長が参加されました。
さて、兵庫歴史教育者協議会のニュースをブログを活用して行うことにしました。どのような運用になるのか、手探り状態ですが、そろりと船出したいと思います。
30年ほど前から相野飛行場について研究を進めておられて、すでに1993年に「三木飛行場ノート」を『三木史談29』三木郷土史の会に発表されています。
相野飛行場は三木市、稲美町、加古川市にまたがり面積199㏊におよぶ比較的大きな飛行場で、1944年3月から工事を始め翌45年1月には一応の完成を見た戦時期の飛行場です。主に陸軍の飛行隊の教育訓練のための飛行場であり、敗戦前にはここから沖縄方面へ特攻を行うために飛び立っていきました。
宮田さんは多くの方の証言をとられており、また現地の調査も行われており、今研究ではやはり第1人者だと思いました。
特に滑走路が三本あったことや無蓋掩体壕の存在は私も知らなかった事実で、もう一度現地調査に行く必要を強く感じました。
参加者は15名ほどで、世話人の稲次寛さん(兵庫歴教協事務局次長)と上野会長が参加されました。
さて、兵庫歴史教育者協議会のニュースをブログを活用して行うことにしました。どのような運用になるのか、手探り状態ですが、そろりと船出したいと思います。
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