2012年5月3日木曜日

山家妄想 №127

山家妄想 №127 2012・5・1 水田全一


姫路広畑俘虜収容所通訳日記 

「望郷」と題した柳谷郁子氏の姫路広畑俘虜収容所通訳 田原栄の日記に基づく著作を紹介する。

詩人・作家と肩書きした伊藤桂一氏が「今次大戦の機微を、もっとも行き届いて解説する、国民必読の好著」「戦記書としてこれほどの人間的重量をもつ書は他にはない」と絶賛する序文を寄せているものである。もっとも著者柳谷郁子は「これは単なる戦記物ではない。二次()大戦()から五十年を経て発見された外国人捕虜収容所の通訳日記を、戦争の推移と重ねながら、一般庶民の日常的な視点と感覚でひもとき、紹介するものである」と、あとがきで記している。

「実はこのプロローグだけを独立させて一冊の本としたいぐらいなのだ。」と述べる「第一章 長い長いプロローグ」と、第二章以下の本文に分かれている。

プロローグはこの通訳日誌が著者の手に入るいきさつと、日誌の書き手田原 栄の父、すなわち「勝 海舟の落とし子」陸軍少尉 田原鑑一の『熊本籠城日誌』にまつわる事実の検証と感慨を、日記の提供者である田原 栄の嗣子田原芳広とともに進める過程を記述したものである。実に百五十ページを超える「長い長い」ものである。

 プロローグにみる限り著者は日本が行った戦争について、「少なくともあの当時の世界の潮流の中で、日本は、第一次世界大戦まではかなり真っ当に精一杯やっている」と田原芳広氏が語ったのに対して、「まあそのころまでは、日本は何とかいい時代だったんと違いますか」と応じる認識であった。

帝国主義の「潮流の中へ遅ればせながら割り込むことに、日本が躊躇もなく疑問や抵抗もほとんど持たず躍起になったのは、多くの国がそうであったように、日本ももともと国取り合戦を繰り返して統一国家を成してきた、いわば国のDNAによるもいのだろう。」との記述は、およそ帝国主義なる言葉を用いることをはばかりたくなるほどのものである。

第二次大戦までの日本の戦争について「日清・日中戦争は灰色であるとして、日本が百パーセント侵略を目的に軍を進めたのは秀吉の時だけである。あとはいずれも防衛上、或いは同盟上、或いは漁夫の利を得ようとして、或いは侵略の意図もあるけれど大東亜構想という大義名分を掲げて経済戦争と、本当のところは多分それらが全部混じり合って、戦ったものである。」と記すが、およそ科学的に検証された歴史観とは呼ぶことはできないだろう。

のちに「(昭和)十三年三月には良くも悪くも南京に日本の傀儡政権(水田注:中華民国維新政府―行政院長梁鴻志)が誕生していたのだから、抵抗勢力、つまりゲリラ掃討のための、日本側からいえば討伐戦争であった。」と記したくだりがあるが、この前年十二月十三日の日本軍南京占領にあたっての大虐殺事件への記述はない。

現在の時点で、「秀吉の時」だけが侵略戦争であると、かつて日本が行った近現代の戦争をことごとくニュアンスに差はあれ免罪するのは、平和憲法下に生きる日本人として許されるものではなかろう。歴史家ではない文学者であることを考慮しても、その文章は曖昧模糊としており、当然のことながら、日本の戦争責任自覚の観点は全く見られない。

著者が「弱肉強食と子孫繁栄が基本原則の生物の世のならいは、せめて人類だけに限るとしても、いや人類だからこそ、この地球上におしなべて豊饒公平な平穏平和が訪れるときなど永遠にありはしないのである。人間が人間であるかぎり、月に住もうと火星に住もうと、これだけは変わりのない真相に思える。」というならば、「『戦争否定』の論理にはたどり着くことができない」のは当然であり、戦争渦中の中国人捕虜に対する日本軍の処遇と比較するという観点もなくて、敵の捕虜を管理する役目を担った者たちの行動がいかようにあったかを検証してみても、その現在的意義は存在するのか疑問である。

たとえ「田原 栄は、それが天命でもあったかのように、誠心誠意、心をくだいて外国人捕虜たちのために精魂を尽くし、しかも楽しんだ。辛うじてよき日本人の誇りと名誉を守った―――、のだ。」と著者が考えたとしても、その誇りと名誉が世界に共感を持って迎えられるだろうか。

「戦後六十年、はじめて世に出る秘録」(詩人・作家 伊藤桂一 序)は、第二章に紹介されているのだが、プロローグにみたような立ち位置をもつ著者の手になる「コメント」は排除して、「秘録」に接する必要があろう。その「秘録」を読んでの感想は後日報告したいと思っている。

なお、田原 栄日誌紹介の終り近くには、田原芳広氏の娘、アメリカ在住の智子さんから提供された「戦勝と占領―――第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国海兵隊の活動史」、著者フランク・ショー(アメリカ海兵隊総司令部歴史局G三部門)の『捕虜』の項目のコピーも抜粋・紹介されている。

第三章は「日本国内の捕虜収容所 資料編」と題した「POW研究会ホームページ研究報告より」の抜粋である。(2012/01/30

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